おかあさん、今は、苦しくないんだよね!

胃ろうをつけられた、母は、何か、食べたいと、いっていた!何が、たべたい?と、きくと、やきそば、とか、うかんだことを、いって、くれた!

もう少し、良くなったら、食べられるからね!本当に、そう信じていた。

いつも、口を、動かして、いて、可哀想だった。でも、治るのを、状態が、少しでも、快方に、向かうのを、信じていた。だから、我慢させた!

全部、快方に、向かうための、戦いだった!

食べさせられないで、苦しんで天国へいった母。とても、わすれられないです。2010年の、10月7日の、朝日新聞に、載っていた胃ろうになった患者の、食べる幸せ、命果てるまで、口からたべたい。医療の、ケアの、かたちが、のってました!そういう、先生が、母の、時に、いらっしゃったら、少しは、母も、幸せだったかな。ってホスピタルの、違いも、感じさせられました!おかあさん、またね!( ̄▽ ̄)

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一周忌ですお母さん!

7月25日で、母が、亡くなってから、一年ですね。毎日、忘れたことは、ありません!苦しんで、亡くなったので、なおさら、忘れられません!それで、いいと、おもっています!激ジュラが、死ぬまで、無理でしょう!  これからも、つらいときも、たのしいときも、一緒だよ!おかあさん!!( ̄ー+ ̄)

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ガスやさん

Cimg3077 クイズに、応募して正解し、抽選で、この納豆かきまぜへらが、あたりました。 めったに、当たらないので、うれしかったです!なお、ミニコミ誌の、名前は、せっかくどうも です!! でも、激ジュラは、いとを、たてない、ほうがすき、なので、違うのに、使うねー!!ありがとう!!( ̄▽ ̄)

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六月だよ、おかあさん!

桜の花も、終わり、新緑が、きれいに、なりましたね。

おかあさんには、あんなことも、こんなことも、して、あげたかったって、いろいろ、おもうんですよ。体力がなく、ふがいない、子どもで、ごめんね。でも、いつも、おかあさんと、一緒だからね!!   今日も、白檀の、お線香を、焚いてきました。おかあさんは、お線香の、匂い、あまり、好きじゃ、なかったけれど、せめて、毎日、焚かせてください、でないと、さびしくて、押しつぶされて、しまいます!     今日も、一緒に、すごしていこうね!!    わたし?だいじょうぶよ。まわりのみんなが、とても、よくして、くれるので、うれしいです!じゃね!

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身体障害者の激ジュラを心配していた母

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自分が、倒れるまで、毎日、毎日、おべんとうを、作ってくれてたお母さん。うめぼしは、母さんの目だよ。いつも見守っているからね。とうめぼしを、いれるたびに、話してました。( ̄ー+ ̄)

そして、ときどき、お弁当の上に母からの、メモが、挟まれてました。激ジュラは、ありがたくて、感謝の気持ちで、お弁当をいただき、そして、メモは、大事

にとってました。母が、なくなった今は、大切な、形見です。いつも、心配かけてごめんね。( ̄▽ ̄)お弁当を毎日作るのが、体の、具合の:悪い人にとって

どんなに、大変か、激ジュラ作ってみて初めてわかりました。

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わたしの、お母さん

 おかあさん、年が明けました。丑年から、寅年になりました。

  お母さんが、いなくなってから、毎日、お線香を、絶やしたことが、ありません。  おかあさんは、とっくに、天国に、いるのかもしらないけど、いつも、激ジュラの、そばに、いるような気がして、なりません。

きっと、いるのだとおもいます。おかあさん、今年も、一緒に、生活していこうね。さあ!!一緒にいこうぜ!!出発だー!!( ̄ー+ ̄)

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エピソード4(おかあさん)

  激ジュラは、エピソード4から、「おかあさん」と、かきます。素直に、つづりたく、なったので。( ̄ー+ ̄)激ジュラが、小学生の時、新潟地震がありました。幼かった弟をおぶって、おかあさんは、右 、左に激しく揺れる小学校への、坂道を、激ジュラと、妹ジュラのもとへ、向かっていました。  本当は、雷とか、地震は、大嫌いの、怖がりの母でした。  学校でも、パニックしてて、先生に、よかったー!!ここのクラスを見ててください!て頼まれて、  地震が、収まるまで、激ジュラが、いないところを、守ってたそうです。( ^ω^ )母は、強し!!ですね。catface

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母上のエピソード3

 私たちが、小さいころ、お母さんは、内職をしながら、その後で、よく遊んでくれました。  覚えているのは、ひこうきです!

とっても、とっても楽しかった。( ̄▽ ̄)

それは、お母さんが、仰向になって、両足を揃えて、その上にちっちゃい私が、おなかを、のっけておかあさんと手を、つないで、上下にブンブンと、揺らしてくれるのです。もう、うれしくって、たのしくって、笑いすぎて、よだれと、ハナミズは、もちろんのことで、次わたちー、つぎわたちーっと、妹も、待っているのでした。(`◇´*)

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母上様エピソード2

大作山という所で育った母上は、アルプスの少女ハイジのように、とても純粋に、すくすく、育ってきたように、みえます。縁側で、女の子座りを、して、眩しそうに、恥ずかしそうに、カメラをみている母上は、少女時代そのものでした。  母上の小さい時は、山を切り開く開拓時代が

あり、とても大変だったとのこと!   母上が、遊びに行くのにも、

背中には、常に赤ちゃんか、子どもを、おぶって、(母上も、子どもだったのだけど)遊べって、いわれてて、背中を、カラにしとくな、と、いわれていたらしい。今、思えば、激ジュラの子どものころも、(といっても、小学生と、中学生ですが、)じいちゃんが徘徊するようになってて、自由に遊べませんでした。この話は、又別な時に書きますね。

  多分母上は、子どもが好きだったから、あまり、苦にならなかったと、思う。( ̄▽ ̄)

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母上様エピソード1

Dsc07379  母上は、子どもが大好きでした。激ジュラ姉妹たちが、小さい時は、保育園のように、近所の子どもたちが、我が家に遊びにきていました。母上が、みんなを、遊ばせ、お昼ご飯を、食べさせて、返してやるのだった。いろんな遊びの中から、ひとつ思い出されるのは、山形県の、花笠音頭遊びだった。まず、工作から、はいり、ボール紙を、子どもたち10人位に、切って、まるめて、まわりに、テイッシュで作った、花を飾ります。そして鈴は、おむかえの、文房具屋さんから買って、一人一人つけてあげるのだった。そして、やっと踊りの練習!!

踊りとか、ダンスの好きだった母は、教えるのも大好き!!

  山形音頭の、レコードプレイヤーにのせて、教えてくれました。

 note チャンチャカ チャカチャカ  チャチャンガチャン!noteてな感じに。

 子どもたちは、瞳を、キラキラ輝かせて、その一連の踊りを覚えました。仕上がりは、プレイヤーを真ん中にして、ぐるりと、輪をつくって、花のやーまーがーたーと、本番に入りました。

 クルリと、花笠を回すところが、一番子どもたちには、むずかしかったと、思います。

最初の出だしの所は、みんなの鈴の音が、揃って、とっても楽しかったのを、覚えています!happy01

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